徒然糞

徒然なるまま糞

nomadic list

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発泡スチロール,ジェスモナイト,石粉粘土,アクリル絵具

130×140×90

2022

 

人は人と関わる時、相手を理解する為にその人の持つ特徴を探し出す過程を踏む。

その過程から、同時に人は相手との共通点や差異によって、自分自身についても理解する事ができる。

私は、当たり前のように見えるこの行為の、無意識のうちに持つ視点、または見落としている部分に着目し、作品を通して提示する。

 


個々を規定するものは、単に他者と比較した中で生まれる特徴ではなく、あらゆる人や物事と関わる中で蓄積された経験から生まれる、その人の持つ潜在的な視点であると思う。

人という存在は、経験や身体の成長と共に思考と行動が不規則に変動し続け、固定化出来ないからだ。

このように、人は生活の中で常に変動し続けることで、自分という存在を浮き彫りにするのではないだろうか。

 


変動する関わりの中で生まれる軋轢こそ、人の持つ不明瞭な部分に対する理解へ向かう糸口になるかもしれない。

 

(本作品を産むに至った契機として、人間という存在の単位は本当に「一人」なのだろうかという考えがあった。

 

人という存在は、あらゆる人や物事と関わる中で蓄積された経験と共に、思考と行動が不規則に変動し続け、固定化出来ないからだ。

 

一つの存在の裏には、このような形を持たないその人のバックボーンが必ずある。私は裏にあるこの存在を、その人の持つ「ふくみ」と呼ぶ。

その「ふくみ」によって、明確な輪郭を持たない人間の真の単位は何なのか、身体の形の流れを借りながら探究した。

 

人が関わる中で見落とされがちなこの「ふくみ」は、言語や画像では捉えきれない多面性や矛盾、止めどない変動、軋轢の中にある。

人は単一体としてではなく、生活の中で常に変動し続けることこそが、自分という存在を浮き彫りにするのではないだろうか。)